1340年11月30日 |
フランス |
後のフランス国王ジャン2世の第3子として、聖アンデレの日に生まれる。 |
1349年09月11日 |
フランス |
生母ボンヌ・ド・リュクサンブール ペストで死去 継母ジャンヌ・ド・ブーローニュ |
1350年 |
フランス |
ジャン2世(父 在位1350〜1364)フィリップ6世を継ぐ |
1352年初め |
フランス |
騎士の叙勲式 エトワール騎士団 11歳 |
1356年4月 |
フランス |
ポワティエ伯 6月 ロワール流域からラングドック地方に広がる全ての所領の国王代理官 |
1356年9月19日 |
フランス |
ジャン2世 ポワティエでエドワード黒太子に捕らえられる |
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ポワティエ伯領 エドワード3世に譲渡される 兄シャルル(摂政)よりマコン伯領を得る |
1360年5月初旬 |
フランス・イギリス |
プレティニーの和約 10月カレーで締結 |
1360年6月24日 |
フランス |
アルマニャック伯(代父)の娘ジャンヌとカルカッソンヌで結婚 |
1360年7月 |
フランス |
ジャン2世 一時帰国 ポワティエ伯領に代えてベリーとオーヴェルニュ侯領を与えられる |
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フランス・イギリス |
アンジュー侯ルイとともに、身代金の保証人(人質)としてイギリスへ渡る |
1361年5月 |
フランス・イギリス |
一時帰国 ジャンはイギリスに戻るが、ルイは約束を放棄してフランスに留まる |
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イギリス |
貴婦人に魅せられる(傷ついた白鳥) |
1364年1月 |
イギリス |
ジャン2世 和平強化と人質返還の交渉のためにイギリスへ渡る |
1364年4月 |
イギリス |
ジャン2世 ロンドンで病死 遺言起草に立ち会い、葬儀にフランス王家から一人参列 |
1365年初め |
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エドワード3世から一時帰国が許可される 年末か翌年初めロンドンに戻る |
1366年2月 |
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1年間の一時帰国が許可される シャルル5世 ベリーとオーヴェルニュの代理権を授与 |
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フランス・イギリス |
戦いが再開 セーヌ川とロワール川の間の地域を指揮 |
1372年8月 |
フランス |
シャルル5世の政治顧問ゲクランによって回復されたポワティエに公式入城 |
1367年初め |
フランス |
長女ボンヌ 誕生 |
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フランス |
ブールジュ大聖堂 着工 |
1371年1月 |
フランス |
長男シャルル 誕生 |
1371年末 |
フランス |
シャルル5世の宮廷で過ごす |
1374年 |
フランス |
リュージナンの町を占拠 城館のイギリス軍 抵抗を続ける |
1374年 |
フランス |
シャルル5世との関係が険悪化 ルイ、フィリップを信頼 |
1375年末 |
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次女マリ 誕生 サントンジュ、アングモアの所領 王領への返還要求 |
1376年末 |
フランス |
次男ジャン 誕生 |
1380年 |
フランス |
シャルル5世 死去 戸別賦課税 廃止 シャルル6世(12歳) |
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ベリー公のいとも豪華なる時禱書 ベリー公の生涯 年表2 |
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ヨーロッパ(北方)ルネサンス年表 1410年代 |